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高松高等裁判所 昭和35年(ツ)18号 判決 1961年1月30日

上告人 被控訴人・被告 田村実生

訴訟代理人 稲井義夫

被上告人 控訴人・原告 河野輝男

主文

原判決中上告人敗訴の部分を破棄する。

本件を徳島地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人の上告理由は別紙記載のとおりである。

原判決によれば、原審は上告人名義の本件係争の各登記について、その各登記原因である実体的権利関係は表見代理の規定により被上告人につきその効果が発生するも、登記そのものは訴外明石幸一が被上告人より付与された代理権の範囲を越え、被上告人の印鑑を偽造して作成した同人名義の委任状及び代理名義を冒用して作成した登記申請書によつてなされたもので、全く登記義務者である被上告人の意思に基づかないから無効と解すべきであるとし、よつて被上告人の本訴抹消登記手続請求を認容したものであることが認められる。

しかし、不動産の登記は不動産物権の得喪及び変更を公示する方法で、一般的にいつていわば実体上の権利関係に従たるものであるから、すでになされた登記は、その申請手続に瑕疵があつたとしてもそれが実体上の権利関係に合致しておれば原則として治癒され有効と解すべく、ただ若しそれが登記義務者の意思に基づかないのであればその点で無効といわなければならないが、その場合でもかかる事由は無制限に主張することが許されるものではなく、前記の事実関係の下における上告人の如き者に対しては、若しその者がかかる事由の存在を知らずに当該の登記をうけたものとすれば、これを主張しえないものと解するのを相当とする。されば、原審が実体上の権利関係について表見代理の成立を認めながら(もつとも、この点に関する原審の判示によつては、訴外石田善吉がはたして表見代理成立の基礎となるべきなんらかの範囲の被上告人の代理権を有していたか否か明確を欠くし、またいわゆる「権限ありと信ずべき正当の理由」の有無についても、原審は原判決事実摘示欄中に上告人の主張事実に対する被上告人の答弁事実二として記載された諸事実について別段の判断を与えていないが、これらはその如何によつては右正当の事由の有無の判断に影響を及ぼしうべき事由というべきである。)前記の理由のみによつて本件各登記を直ちに無効と断じたのは、登記の効力に関する法令の解釈を誤り、審理不尽であつて、論旨は理由がある。

よつて、原判決中上告人敗訴の部分を破棄し、更に所要の諸点につき判断をなさしめるため、これを原審に差し戻すべきものとし、民事訴訟法第四百七条により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺進 裁判官 橘盛行 裁判官 山下顕次)

上告理由

原判決(第二審判決)は法令の解釈を誤り認定した事実に適用(或は準用)すべき法令を不当に適用(或は準用)しなかつた違法がある。

原判決は証拠に依り「控訴人は昭和二十九年四月初頃自転車盗難の際の相互扶助的な保険事業を目的とする関西綜合商事株式会社設立の事業資金にするため、訴外明石幸一に対し控訴人所有の麻植郡鴨島町字田淵三十九番地の四、田一反歩の売却その他の処分をすること及びその手続一切を委任し、右訴外人に自己の印鑑を交付していたところ、同訴外人においては右委任による代理権の範囲を越えて、本件不動産を担保にして被控訴人から金を借り入れようとし、同年四月初頃訴外石田善吉に対し自分は控訴人の委任を受けていると申し向け、かつ自己において勝手に控訴人の印鑑を使用して作成した控訴人の委任状(乙第一号証の一)、及び勝手に作成した控訴人の委任状(甲第九号証)により交付を受けた控訴人の印鑑証明書を交付し、同人をして控訴人の代理人となし、本件不動産を担保として被控訴人から金を借りいれる交渉をさせたこと。被控訴人においては以前から面識のあつた訴外石田善吉から関西綜合商事株式会社営繕課長なる名刺その他同会社関係の印刷物を呈示され、訴外明石幸一等と共に右会社事業にたずさわつているが、控訴人がその社長であつて自分は同人から事業資金の調達をたのまれ金借についての一切を委任されているので同人に資金を貸与されたい旨申込まれ、かつ公文書である控訴人の印鑑証明書(乙第一号証の二)の添付された控訴人の委任状(乙第一号証の一)をも差出されたので、訴外石田善吉が真実控訴人の代理人であると信じ、昭和二十九年四月八日同人との間において、被控訴人は控訴人に対し金六万五千円を利息日歩三十銭、元利金弁済期昭和二十九年七月七日の約定で貸付け、控訴人はその担保として本件不動産に抵当権を設定する契約及び控訴人において右債務の弁済ができないときは本件不動産を代金六万五千円として本件不動産を被控訴人に売渡す旨の売買予約並びに右各契約についてそれぞれ抵当権設定登記、所有権移転請求権保全の仮登記をなす契約が締結されたこと。」を認定し「右認定の事実によれば訴外明石幸一が控訴人から与えられた権限外で、訴外石田善吉をして被控訴人と前記各契約を締結させたものであるが、被控訴人においては右各契約を締結するについて訴外石田善吉に控訴人を代理する権限ありと信ずべき正当な事由があつたと言うべきであるから、かかる場合には民法第百十条の表見代理の規定が準用され、控訴人は右石田善吉の行為についてその責任を免れず、結局本件各登記原因である売買予約並びに抵当権設定契約は一応控訴人と被控訴人との間で有効に成立したものと解する。」と判示し(判決理由三の(一)(二))ながら「本件各登記は訴外明石幸一が代理権の範囲を越え、控訴人の印鑑を偽造して作成した控訴人名義の委任状(甲第四及び第六号証)、並びに代理名義を冒用して作成した登記申請書(甲第三号証の一、甲第五号証)によつてなされていることが認められる。そもそも不動産に関する物権変動は当事者の意思に基いてなされることを要し、全く登記義務者の意思に基かない偽造文書の行使等の手続によりなされた登記は、たとえそれが実体法上の物権変動に一致していても何等効力を有しないし、又登記申請行為は国家機関たる法務局を相手方としてなす一種の公法上の行為であるから、民法第百十条の表見代理に関する規定は適用或は準用されないものと解するを相当とする。従つて本件は前記認定のとおり登記原因である実体的権利関係は表見代理の規定により控訴人につきその効果が発生するも、本件の各登記そのものは訴外明石幸一が偽造の登記申請書及び同委任状によつてなしたものであり、全く登記義務者である控訴人の意思に基かないものであるから、いずれも無効のものであると言わなければならない。」との旨説示し(判決理由三の(三))以て控訴人の本件各登記の抹消登記手続の請求を認容した。しかし乍ら不動産に関する登記手続申請行為は、いわゆる法律的行為中の準法律行為と解すべきものである。即ち不動産登記の法律上の効果は、当事者の欲すると否とに拘らず発生するものであるから右申請行為は法律行為ではない。しかし通常の場合、当事者は法律に定めた効果の発生することを希望期待して該申請行為(精神的事実=意思の表白=を包含する法律的行為)を為すものであるからこれを準法律行為というべく、これについては民法の法律行為に関する代理の規定(従つて第百十条の規定も)を類推適用すべきものである。現に不動産の登記については代理人に依り登記手続の申請を為すことが認められ、(不動産登記法第二十六条)又実際に数多く行なわれて居るのである。

今これを本件について考えると控訴人は訴外明石幸一に対し関西綜合商事株式会社設立の資金に充てるため控訴人所有農地一筆を売却その他の処分をすること及びその手続一切を委任し、右明石に控訴人の印鑑を交付していたところ同人は右委任による代理権の範囲を越えて本件不動産を担保として被控訴人から金を借り入れようとし訴外石田善吉を控訴人の代理人として被控訴人に対し右交渉を為さしめた結果、金六萬五千円の消費貸借契約が成立し、且つ本件不動産に抵当権を設定する契約及び売買予約の契約並に右契約についてそれぞれ登記を為す契約が締結せられたもので右契約は民法第百十条の表見代理の規定が準用せられる結果控訴人に於てその責を免れ得ないものであり、一方右登記手続については訴外明石幸一が代理権の範囲を越えて作成した控訴人名義の委任状並に登記申請書によつてなされているのであるから右登記申請行為についても民法第百十条の表見代理の規定を類推適用してこれを有効とし控訴人をしてその責に任ぜしむべきである。そもそも不動産の登記は不動産につき生じた物権変動を公示する方法であつて、物権変動は主(原因)であり、登記は従(結果)である。登記原因たる物権変動につき、民法第百十条の表見代理の規定を準用して物権変動の効果を認めながら、その公示方法たる登記手続の申請については右法律を類推適用することなく右申請が登記義務者の意思に基かない偽造文書の行使により為されたとの一事を以て該登記を無効のものであると為すのは、本末顛倒、首尾一貫せざるもので法令の解釈適用を誤つた違法があるものである。又、表見代理の認められる場合には、多くの場合において文書の偽造、行使等が伴うのが普通で、これを特に登記手続申請行為に限り無効とすべき格段の理由はない。而して原判決認定の如く本件登記手続が無効で該登記を抹消すべきものとするも上告人は被上告人に対し抵当権設定契約等に基きこれが登記手続を請求し得べく、従つてこれに必要な諸手続をくり返すにすぎないこととなり、格別の実益が見られないのである。

民法第百十条の表見代理の規定は善意の第三者を保護して取引の安全を計るのが目的であること及び不動産に関する物権の得喪変更は登記がなければ第三者に対抗できないことを考え合せると不動産の登記原因につき表見代理の規定を適用或は準用しながらその登記手続申請行為につき右表見代理の規定の適用(或は準用)をしないのでは、法の企図した前記目的を達成することができないこと明らかで、原判決が前記の通り本件登記手続申請行為につき民法第百十条の規定を類推適用しなかつたのは、法令の解釈を誤り本件認定事実に対し当然類推適用すべき右法条の類推適用を不当にしなかつた違法があるもので、その結果控訴人の登記抹消手続の請求を認容するに至つたものである。

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